あの頃はあんなに希望にあふれていたのに、今はどうしてこんな状況になってしまったんだろう。そう考えて、落ち込む。
私はもともと、元気しかウリがない活動的な阪大生でした。そんな人間がどうして限界社会人になったのか?(私の限界加減はプロフィールをご覧ください。)
ということで、覚悟を決めて限界社会人になってしまった理由を突き詰めて考えてみました。
皆それぞれの過程を経て限界になっていると思いますが、一例を見てみるだけでも自分の状況改善に繋がるヒントが得られるかもしれません。
留学でネジが一本外れた
大学でもいろんな人に会いましたが留学先のスウェーデンではもっといろんな人に会いました。そこで多様な価値観に触れたことで、大事なところのネジが外れてしまいます。
スウェーデンでは本当に多様な生き方で人々が自分の人生を生きていました。高校を卒業して先に社会人経験を積んでから教育機関に入る人や、働きながら大学に通う人が大勢いました。少し自分の時間を取って数年間旅に出たなんて人の話もよく聞きました。
私が今まで大事にもってきた常識というネジがいかに世界を知らないことか。こんなの無くても人間って動くんじゃん!って気付いてしまったんですね。
でも体が動くことと、この日本でちゃんと生きることは全く別物でした。
金銭面で親に頼りたくないと意地を張った
私の家庭は比較的裕福で何不自由ない暮らしをさせてもらってきましたが、留学後の進路を考える中でいかに日々生活するのも学校に通うのもいかに莫大な費用がかかるかということ実感しました。
いままでそれを負担してくれていたのは学生である私を養ってくれている父親で、私が進路を考える時点ではすでに定年の近づく年齢になっていました。
今まで散々良い暮らしをさせてもらってきた分際で、これ以上負担を強いる決断はできませんでした。
自分の過去を置き去りにしきれなかった
これが一番大きいかもしれません。
社会に出れば一年生。今までどんなに何を頑張っていたって、仕事と学生生活は全く異なるものです。
私にはいままで頑張ってきたという自負がありました。それは数ある場面で私を支える柱になってくれましたが、今まで頑張れたんだからこれからも同じように頑張れるはずだというプレッシャーにもなりました。
小学校を卒業するとき、担任の先生が生徒全員にキャラメルを渡して「舌で溶けるキャラメルと一緒にこれまでのことは忘れろ」と言いました。それが今になって効いてくるとは。こういうことだったんですかね。
結論:頑張りすぎは限界のもと
色々洗い出してみましたが、総じて頑張りすぎてるなという感じですね。
気楽に考えられる人、あるいはその対象があるのですから、そうでない側も確実に存在します。私は後者だったみたいです。
でももうすこし意識的に力を抜いてみようと思います。うまくいくかはわかりませんが、チャレンジすることは少なくとも学びが得られるという点では良いものですからね。
よかったら皆さんの限界理由もコメントでシェアしていただけると嬉しいです。
一緒に限界と共に生きていきましょう。